後期日程にさえ受かっていればいい。

終わりと始まり?のプロローグ

春が来れば夏になり、秋となって冬となる。そんなに日常的で永遠に続いていきそうに感じる日に余命というべき焦燥感を感じるのが受験生である。私もまた受験生であった。この記事は私の備忘録でもあり、なかなか知りえない後期日程の戦記物語を知らしめるものである。私の受験期を以下のように三分割してまとめてみた。私の在学している大学は調布にある某国立理系単科大学だ(特定できてしまうが)。私のようにしていれば私と同じ大学に行ける、あるいはその大学どまりになってしまうと思って読んでもらいたい。

  • 1.~高校二年生まで(普通の学校ぐらし!)

  • 2.高校三年4月~1月初旬(受験生期)

  • 3.1月中旬から3月下旬(受験期)

1.~高校二年生まで

➀総括

自分でいうのも難ではあるが、私はいわゆる優等生であったと感じている。学校も一度も遅刻欠席もなく、小テストでは満点にに近い点数をたたき出していた。私は緩い運動部に所属していたために、両立はそれほど難しくはなく楽しい学園生活をしていた。また、学内の成績も優秀で高校1年2年ともに一桁台であった。特に高校2年では成績が上がったと感じた。高校2年の初期は新型コロナウイルスにより授業がオンラインとなった。私はなんやかんや授業および課題に取り組んでいた。プラスαなことはしていないものの授業が始まった初めのテストで好成績を修めたことで自信がついたことを鮮明に覚えている。むしろ学校休校は感謝していた。(コロナ下での日々や学校生活のことは別に書くとしようと思う。)

②気がかり

私は学校のテストはできて模試ができないタイプだった。学校の成績では一桁台であったが模試では十なんちゃら位になってしまっていた。自分でも分からないが一つは勉強法、もう一つはただ単に才能がなかっただけかもしれない。

2.高校三年4月~1月初旬

①落ちた成績

高校3年初めで受けた模試はいきなり出鼻をくじくものであった。大体偏差値は5以上は下がった。高校2年までは数学に自信があったが、難しい数学Ⅲが登場した結果そんなこともなくなった。なかなか好成績を収められない日々が続いた。駿台記述模試はこの時偏差値50を超えたことがめったになかった。現役生はやっぱり下がるのだなと体感した。現役生は最後の最後まであきらめないでほしい。

②運動部の追い上げ

悔しくも時間がないながら勉強してきた運動部に所属している同級生が好成績を修め始めていた。もちろん上がらない人もいるが上がる人はものすごく上がる。この傾向は私大受験生、特に文系では顕著に見られた。最終的に私の成績は高校1、2年次とさほど変わらなかった。

③志望校すってんころりん

私はもともと東〇大学を志望していた。しかし徐々に受験期に近づくにつれて今の成績では太刀打ちできないと判断し、夏休み後に〇工大に変更した。最高はC判定だったので。結果的にもともと志望していた大学は共通テストで足切りに合っていたため正解であった。まぁ、またまた変えて電〇大になったわけだが。

④最後の模試

最後の模試は駿台共通テスト模試だった。この模試は過去最高に良く、総合学年1位だった(〇銀状態だった)。このとき第一志望の大学もD判はとれており(ちょっとやばいが)、もともと受けようとしていた後期日程の判定もB、Cとなっており本番もこの調子で頑張ろうと共通テストに打ち込んだ。

 

3.1月中旬から3月下旬

①波乱の共通テスト

始まった共通テスト。私は共通テスト8割以上目指すぜ!と思いやがっていたが、いきなり出鼻をくじかれた。本当に本当に難化して蓋を開けてみれば600点にも及ばぬ点数であった。放心状態かつただただ泣いていた。俺の努力は無駄だったのではないかと。共通テストの難化は主に中堅層(旧式センター試験で7割5分~8割?)に大きく響くのだと考えられる。駿台データベースの換算得点一覧でも所謂中堅層が大きく点数を下げる結果となっていた。本当にできる人は数十点くらいしか下がらない。またできない人もまたあんまり下がらない。しかし、勉強してきたが才能ない大勢が大きく点を下げたと考えている。ほんとに波乱の共通テストだった。(文部〇学省は何考えているんだ!共通テストの開示を1週間以内にできるシステムを構築することが先決だろ。最近は受験したことがない人が多いのかな。)皆が下がったということは軒並みボーダーも下がるということだ。私の場合、皆の下がり幅より大きいのでもともと志望していた大学は軒並みD、E判定であった。そこで主に国立大学後期日程の受験校を練り直したところ私の通っている大学がヒットした。友達の勧めもあって後期はそこを出願した。前期日程は共通テストがいらないとこだったので迷わず出願した。共通テスト利用はマーチ以上は届かなかった。私大は大体一般受験せざるを得なかった。

②落ち続ける私大

共通テスト利用入試でとりあえず日〇大学は合格できて安心したもののの、行く気ではなかったので不安が大きかった。そして〇教大学、東京〇科大学、慶〇大学、早〇田大学と受験していった。結果すべて不合格であった。模試では良い判定を取ったこともある大学もあるのになぜなんだ。いやになって自〇したくもなった。酔っぱらった親のいう事にもいちいちイラつくようにもなった。この時アホな浪人生になってしまうなと思った。

③国立大学前期試験

大岡山にある某理系大学だ。試験は大学ではなく付属の高校で受けた。おそらくだが出願が遅かったのが影響したのであろうと思う。出願が遅れると変なところで受けさせられるケースが多いので出願は早めであることが望ましい。でも高校の立地はよく、山手線沿線であったので逆に良かったが。その後、できなかったという感情で埋め尽くされた。私大とは違い約10年ほど過去問を取り組んでいたので本当に悔しかった。だが逆に落ちたと思ったので試験が終わった翌日から後期日程の勉強を開始することができた。3月9日に合格発表があったが皆さんお察しの通り不合格。本当につらかったが気持ち切り替えて後期日程の勉強をした。

④国立大学後期試験

まず後期日程のある理工系学部の大学一覧である。共通テストの難しさで私はこのように感じられた。()中の数字はおおよその科目数。

(最難関)〇北大学(3)

(難関)北〇道大学(2)、九〇大学(2)、〇戸大学(2)

(難)横浜国〇大学(2)、名古屋〇業大学(3)

(ちょい難)電気〇信大学(4)

なお、二次対策ではもちろん科目数が多いほうが負担となる。後期日程の偏差値表は2科目のみとかで出るのであまりあてにできない。

次に、後期日程の概要を説明しようと思う。注意点は以下の通りである。

  • 後期日程の試験を受けた場合、前期日程で受かった大学の合格資格は剥奪される。
  • D、E判定の人は前期日程より受けないと思われる。
  • 前期日程の合格発表日から後期日程の試験日までの日数がない。(私の場合3日間)
  • 後期日程と前期日程の出願期間は同じ。

1番目に注目。前期合格者が合格稼ぐために後期日程を受験することはできないので注意しなければならない。2つ目に後期日程はD、Eは本当に受からないと考えてよいと思う。心理的に後期を受ける人は本当に後がない人だから特攻作戦は絶対に通用しない。3番目に、後期日程合格には見切り発車が重要である。前期日程の合格発表にもじもじしながらも後期日程の過去問対策をしなければならないのである。私は前述のとおり前期試験が終わった翌日より後期日程の大学の過去問対策をした。そのおかげで試験までに6年分の演習をすることができ、傾向をつかめた。本番でも過去問同様の問題が出て、余裕が生まれた。ところで、その科目数は3科目4教科で多くの前期日程の試験と同じの科目数であった。私の大学の後期は科目数が特別多い。他大学の多くは2~3科目であることが多く、前期日程より科目数が少ない傾向にある。後期日程で3科目を受けるとすれば、私のケースにあてはめると8年くらいやっているのが望ましい。そして3月21日合格した。私の高校では3月19日に卒業式があったが、本当に生きている心地がしなかった。そのためあんまり覚えていない。しかし、合格発表の時はとてもはしゃいだことを覚えている。やっと受かった!と。

⑤合格手続き

後期日程で受かった後の日々はあっという間だった。入学手続きの締め切りが5日程度であったからあわただしかった。その後、卒業式ではあんまり話していなかった友人と最後に遊んだ。科博いったりカラオケ行ったりして。余談として、追加合格で立〇大学がきた。私大の場合、追加合格制度があるので最後まであきないこと。だが、後期うかったので蹴ったけど。

最後に

大学合格にいそしんだ経験はいずれ自分の支えとなる。大願を成就した人はそれを糧に頑張っていける。目標に届かなくても何か得られるものが必ずある。私は孤独に3月の末と同年で人より多く受験にいそしんでいたため、精神力が鍛えられたと感じている。だから、かっこ悪いとか頭わるいからとかで大学受験を遠ざけないでほしい。もちろん、かっこいいとかわかって〇vのようにいきりたいとかいう理由でもいい。とにかく真剣に大学受験をしてもらいたい。その先に自分の「道」が広がっているはずだから。